2011年7月31日日曜日

ザイデル海博物館

在ロッテルダムのデザイナーの友人達と一緒に、Enkhuizen(エンクハウゼン)にある
Zuiderzeemuseumザイデル海博物館)に行ってきた。

春夏の間オープンしている屋外博物館では、古い漁村や町の様子がそのまま再現されている。
ほぼ毎年行っているのだが、未だに全部回りきったことがないくらい広い敷地で、眺めるだけ
の歴史博物館としても十分見応えがある。
それに加えて、子供向けのワークショップや貸衣装、昔ながらの遊具などもいろいろあって、
親子でたっぷり楽しめる。

通年オープンしている屋内博物館では、昔の生活道具や船の展示なども面白いが、デザインに
力を入れている博物館ならではの企画展もあり、こちらも見所たっぷり。


朝から天気はいまひとつでパッとせず、お出かけ日和とはほど遠かったが、アイセル湖岸の
土手を走る道から眺める空と水の景色はどんな空模様でも面白く、なんともいえないネズミ色
のバリエーションがきれいだった。
駐車場から屋外博物館まで渡るボートに乗るのも楽しみのひとつ。


昔の家々を見て回る。
現代ではのっぽさん揃いのオランダ人だが、昔は今よりずっと小柄だったようだ。室内も
出入り口も、低くて狭くてコンパクト。

畑なんかもある。
漁村の家庭菜園という設定なので、いろんな野菜がちょっとずつ。


オランダでは、脂ののったウナギやニシン、サバなどの燻製が定番。
屋外の燻製場で作られたものをその場で買って食べることができる。出来立てはおいしい!
(写真は燻製工場の再現。工場といっても、家屋に毛が生えた程度の小さな町工場だけれど)
大の魚好きのこまめ、燻製にすると硬くなるのに、ウナギの皮までガツガツと平らげていた。
母は、皮は残す派。


伝統衣装を着て、昔ながらの遊びに興じるこまめ。
木靴でカポカポ…昔の子はこんな格好で走り回っていたのだなあ。

後ろ姿はこんな感じ。
遊具は、振り子でピンを倒すボーリングのようなゲーム。台が樽っていうのもまたいい。

ごまめは輪っか回し。…のつもり。


月替わりのワークショップ、今月は「鍛冶ラボ」。

大きなふいごで火力調節…

そして鍛える。カンカンカン、面白そう。
こまめにはまだちょっと難しそうだったのと、屋内の展示も見たかったので、名残惜しく去る。


屋内展示の目玉は、伝統的な工芸品や手工業的な道具と最新のデザインを並べてみる企画展

個人的にピピッとひっかかった作品。
古典的な油彩風景画なのに、モチーフに干拓事業の重機が入っている。
パロディなのか?と勘ぐったら、1939年頃の大真面目な作品だった。

一番面白かったのは、風力で靴下やマフラーが編める機械。
遠隔地の安い労働力で大量生産して大量輸送するという現代当たり前の生産方法の代替案と
して、都市(=消費地)の真ん中で小ロットの生産を可能にする手段として考案されたもの。

デザイナーのサイトには動画や製品の写真もある。

別のデザイナーの作品に、音を利用した編み機というのもあった。
図柄のパターンを歌や音声に応じて変えられるというもの。機械は作動していなかったが、
こちらも面白そうだった。

ここで閉館。
時間切れで、またしても全然見切れなかった。
寒い季節に、屋内だけじっくり見に行くというのもいいかもしれない。

2011年7月30日土曜日

音読カード

初めての音読カードがいっぱいになった。


予想通り、音読を始めて2ヵ月で埋まった。
最後の1冊は「さあ読みましょう」と取り組みの中でやったのではなく、気がついたらごまめ
に読んでやっていたもの。やはり赤ちゃん絵本は敷居が低い。
カードには記していないが、自分から読み始めた歌詞のブックレットなどもある。
ひらがなのみではあるものの、お稽古を始めて半年あまり、「文字から文へ」の移行は順調と
いっていいだろう。

音読の具体的な効果のほうは…というと、まず、声に出して読むことで「ことばの切れ目」が
わかっているかどうか確認できる。(単語が文中に埋没しているので。ちなみにオランダ語は
英語と同じく一語一語の境界が明確)

また、読み聞かせや普段の会話ではあまりない「○○って何?」という質問も良く出る。
自分で読むからこそ、意味の取れない言葉にひっかかるのだろう。

見ていると、「は(ha/wa)」「へ(he/e)」の読み替えはわりと自然に覚えたようだ。
どちらかというと「はな」を「わな」と読んでしまう、といったことの方が多い。
音読に限らず、童謡や俳句の暗唱なども含めて、自分で声に出し言葉の持つリズムや抑揚を
身体で覚えさせるやり方は、ネイティブ話者である親がそばにいるからこそできる、まさに
「口伝」。
毎日は無理でも、細く長ーい習慣になるよう、できるだけ続けてみたい。

そうそう、1つ読むごとにご褒美としてシールを貼るようにしていたのだが、全部埋まった
ご褒美にはちょっとしたモノを何かひとつ買ってやることにした。
何がいいか聞いてみたら、いつも行くスーパーのガチャガチャをやりたいと言う。ムム…。
ご褒美としてはあまりにも刹那的すぎる。
髪をいじったりするのが大好きなので、いつも身につけられるカチューシャはどう?と提案
したところ、すごく嬉しそうにしていたので、近々一緒に選びに行く予定。


2011年7月28日木曜日

日本へのお便り

ちょっと前に、日本のおばあちゃんからこまめ宛に、ひらがなで手紙をもらっていたので、
返事をしたためることにした。

絵を描くのが好きなこまめなので、便箋ではなく、A4の絵日記用紙を使う。(2枚になった)
文面は、おばあちゃんからの手紙を読み直してから、一緒に考える。
ほんの数行…ではなくなったので、最初の「ばあばへ」を除き、なぞり書きで。
手紙の形式に触れるのも練習のうち。


文章を書き上げてから、絵にとりかかる。
おばあちゃんが朝顔のことに触れていたので、こども百科の「アサガオ」の項を見ながら。
もはやファンタジーの世界、これはこれで楽しい。(1頁目)

白い朝顔の写真を見て「うちにもある!」と言うのだが、去年蒔いたのはとっくに終わってる
し、今年は蒔いてない。何のことかと思ったら、桔梗のことだった。全体の姿形や葉・ツル等
を実際に見比べたわけではないので、こまめ的には似ていると思ったのだろう。
今が花盛りの白桔梗を一枝取ってきて、見ながら描く。お花の妖精も。(2頁目)


あとは、撮りだめていた写真をプリントしてもらって同封する予定。
インターネットというか、そもそもコンピューターを触る気がまったくないおばあちゃんなの
で(馬鹿ではないが偏屈なのだ…)、手間がかかることこの上ないのだが、まあ写真は普通の
「物理写真」が一番見やすいしね。

あそぼ、あそぼ

読み聞かせの会のお友達と、お昼持ち寄りで遊んだ。

自分のところで用意したのは「おにぎり2種」と「おやつのゆであずき&アイス」だけだった
のだが、みんな(計6組)で集まると「ちょっとしたものの寄せ集め」でもとっても楽しい。

月に一度の会の各月のテーマにははまりにくく、でも楽しい本だから皆に読んであげたいな…
と思っていた絵本も2冊持参し、読んでみた。
反応は上々。


どんよりしていたが雨も降らず、わりと暖かくもあったので、お庭や裏の広場でも遊ぶ。
元からそこそこ年齢差のあるグループだったが、おちびのごまめも混ぜてもらい、なんとも
微笑ましいことに…。歩けるようになって良かったね!



こまめは、前の日に友達がやっていたのがうらやましくて、「私もやって〜」と寝る前に
「三つ編みパーマ」を仕込んであったので、この通り。

こんなことがとってもうれしい乙女ちゃん、5歳の夏なのだった。

2011年7月26日火曜日

おかんは世界を救う?!

ノルウェーでの悲惨な事件のことは、当然オランダでも話題の中心となっている。
新聞ニュースのみならず、家庭でも。

父がどこかで見聞きしてきたらしく、「犯人の父親が息子に対して『おまえも死ねば良かった
のに』と言ったらしいよ」と。
「そりゃ当たり前やわ、私が親でも『死んで詫びろ』と思うに決まってる」と返した。
ステートメント(議論を巻き起こすこと)が目的だったのならば、心中するつもりでやって
しかるべき、何を自分だけのうのうと生き延びて…と思ったわけだ。
「でも、我が子にそんなこと言わざるをえないなんて、なんて悲惨な…」と父が犯人父に同情
を示したので、「親には全く責任がないか?親の影響はどの辺りまでか?」など、少し議論に
なった。

日本でも、凶悪犯罪が起こったら、犯人の過去であるとか生い立ちであるとかに注目が行く。
犯人が若ければ若いほど、いったい親はどういう躾をしたのか、という見方が生まれる。
もちろん、いくら若くとも、子の抱く思想や主義信条には親は関わりきれない。
キリスト教徒である両親の元で育って洗礼などを受けていても、青年になって敢えて抜ける
(改宗ではなく無宗教になることを何というのでしょうね?)決意をした父自身がいい例だ。

ただ、ある人が周囲の人や世界とどう対峙するかというところの一番の基礎は、幼い頃や思春
期にどう過ごしたかということが深く関わっているとも思う。
親は、子の持って生まれたものを、性格にしろ知性にしろ、持っていた以上に良くすることは
できないが、台無しにしたりひん曲げてしまうことはいくらでもできる、と自戒をこめて思う
のだ。

父は、喜怒哀楽が激しく真性のかんしゃく持ちであるごまめを例にとって、「怒りや憎しみは
誰にでもある。生まれ持った性格は親にもどうすることもできない」とも言う。
が、母である私の考えはちょっとちがう。
たしかに、心に生まれる衝動や感情は自然なもので、誰にもどうすることもできない。
ただ、その衝動や感情とどう折り合っていくかは、親がある程度導いてやることができるので
はないか、と思うのだ。
例えば、ごまめのかんしゃくの場合、「怒っちゃダメ!」と押さえつけるよりも、爆発をまず
はなだめて落ち着かせ(怒りを包み込んで溶かすイメージ)、通常モードに戻すように手伝う
とか、爆発がきそうだなと思ったらちょっと気をそらせるとか、そういう小さなこと。

同じく天然のかんしゃく持ちである父なのだが(父のお父さんもそうなので、もう完全に血筋)、
幸いにもお母さんが聖母さまのように穏やかで心の寛い方だったので、「そのおかげで社会で
まともに機能するまっとうな大人になれたんとちゃうの」と言ったところで「なんやそら」と
なり、時間切れ(出勤!)でもあったのでこの話はおしまいになったのだった。



今の自分自身を振り返ってみても、悪いところのすべてが親のせいだとは思わないが、明らか
に家庭環境の悪影響を受けているなあと思われる点もある。
自分も親として子らに満点の環境を提供できているとはとてもじゃないけど思えず、日々反省
の連続ではあるものの、人ひとり育て上げることの責任の重大さにばかり目を向けていては、
背負いきれないとも思う。

私の場合、ガチガチの理想像にしばられたり、よくできた(ように見える)他人と比較しては
落ち込んだりしてしまいがちだったのだが、ある時を境に少し楽になった。
それは、「おかん」というキーワードに気付いた時だった。

「お母様」でも「ママ」でもなく、「おかん」。
ちょっとだらしがなかったりどこか抜けていたりして褒められたものではないんだけれど、
どこか憎めない。それどころか、おかんあってのその家庭、という存在感のある母親像。
マンガでいうなら、「ののちゃん」のお母さんのような感じで、若干の奇人風味もあるような。
要するに、まともであることを屁とも思わない、とってもまともな変な人、というイメージ。

「ま、なんとかなるかいな」という自分にも他人にも寛容な態度は、子育てしていると絶対に
必要だな、と、ついついこまめに小言を浴びせてしまう度に思う。
袋小路のどん詰まりみたいな社会にあって、日々をできるだけ健やかに過ごしていくためにも、
こうあらねばならないというガチガチの縛りに陥らぬよう「ちょっとだらしないおかんモード」
を常に意識しておくことは、個人的には「太陽のように広くあったかいおっかさん像」よりも
効き目があると思っている。だって、そんなまともな人、なられへんって。無理無理。



【追記】

テロにはより強固な民主主義とより大きな寛容性で報復する」ノルウェー首相


このメッセージには身震いした。
まさに、ごまめのかんしゃく玉大爆発に対峙する母の態度と同じではないか。
それをこのように複雑で深刻な社会問題に対峙する基本態度として毅然と取り続ける、と
宣言できるとは……!

2011年7月25日月曜日

本当の夏みたいな夏

今週から6週間の夏休み。
まあ週末から始まってたようなものだが。

それにしても夏らしさのカケラもない気候である。
今週の句には「さじなめて 童たのしも 夏氷」(山口誓子)をチョイスしてあったのだが、氷
どころか冷たい飲み物ですら口にしたいとはあまり思わない。熱いミルクティーや玄米茶が
ちょうどいい。
かき氷がどんなものか説明したら、こまめ曰く「本当の夏みたいな夏になったらね〜、かき氷
食べたいな!」と。そんな夏になってほしいものだわい、マッタク。


今日は読書熱というか音読熱が高まっていたようで、勝手にあれやこれや読んでみているのが
聞こえてきた。
特に、童謡ソングブックの歌詞を読みながら、知っている歌なのにあえて自作の別メロディー
をつけてちがう歌に作りかえる…というのにハマったようで、延々とやっていた。
どれくらい延々かというと、途中でそのソングブックで遊びたくなったごまめがギャオースと
発狂するくらい。(でもごまめはこらえ性がないのであんまりいい指標ではないかも…)

それから、読み聞かせで読んだ『バーバパパのいえさがし』をそのままソファに置いてあった
のだが、それを再度自分で読み切ったという。
「ええ〜ほんまかな〜〜〜」とあざとく挑発して「ほんまよ!できるよ!」「ほなやってみ」
というように誘導して更にもう一度音読させたのだった。



ちなみにこの本、母の子どもの頃からの愛読書で、バーバプラスチックなる素材でできた家は
理想の家(夢の家)と今でも思う。
トルコの洞窟ホテルに泊まった時には「似てる!」とうれしくなったものだ。
環境問題とか都市計画とか、建築家の作者の思想も盛り込まれていて奥が深いのだが、子ども
にとっては、ワクワクハラハラするお話と並んでディテール豊富な絵に見入るという楽しみも
あり、一冊でいろいろに楽しめるのも長い年月を経てもちっとも飽きがこない理由だろう。


理想の家(現実の家)は、やっぱり平屋の日本家屋かなあ…。
押し入れとか、縁側とか、お風呂とか。
今はもう更地になってしまった「おばあちゃんち」が原風景になっている気がする。

2011年7月24日日曜日

母ダウン、ごまめシ〜

天候不順のせいか、家の者の体調もガタガタ。
こまめごまめが風邪をひいていたのは治ってきたが、今度は母がかかってしまった。
ごまめの食べ残しをもったいないからと食べたりしていたし、うつってしまったか、しょうが
ないなあ…と思っていたのだが、なぜか症状が全然ちがって、どうもインフルエンザのような
感じ。節々やら頭やら耳やら、そこら中がモーレツに痛んで太刀打ちできない…という有様で、
週末なのを良いことに、父にいろいろ任せてしっかり養生させてもらった。


そんな「不調の嵐」吹き荒れる昨日の朝、こまめがトイレで痛いと大泣きしていた。
すわ膀胱炎か、と採尿して、父が休日担当医に連れて行ったのだが、幸いなんともなかった。
その時に、コップを持っておしっこさせるのも難しそうだったので、なつかしのおまるを納屋
から出してきて、それから容器に移し替えたのだった。

今朝、父が思いついて、そのおまるにごまめを座らせてみた。
立ち上がったので見てみたら、ちょっぴり出ていた!
父・母・こまめのヤンヤの喝采を浴びて、まんざらでもなさそうなごまめ。
5分ほどしてからまた座ると言うのでもう一度座らせたら、さっきよりもたくさん出た!
昼にももう一度!

こまめが日中のおむつを卒業したのは2歳半の夏だった。そのことが念頭にあったので、あと
1年あるし〜…と思っていたのだが、案外本人が楽しそうだし、わりとちょくちょく大きいの
が出たことを教えてくれるところをみると排泄感覚も意識できているようだし、別に今始めて
みてもいいのかもしれない。
ヒンヤリ肌寒いので、パンツ一丁でウロウロさせるというわけにはいかないが、おまるや補助
便座に時々座らせてみることからのんびり始めてみるかいな。

2011年7月20日水曜日

あるこう、あるこう

ごまめの二足歩行率がどんどん上がってきた。
もはや「ホモ・サピエンス」と呼んでも差し支えないレベル!
まだポテッと尻もちをついたりつまづいたりすることも多く、便利なハイハイを奥の手として
使うこともちょいちょいあるが、手をつないで近所をグルッと散歩したり、近くのスーパーへ
徒歩で買物に行ったりできるまでになった。

散歩しながら、初めはおとなしく手をつないでいたのだが、慣れてくるに従って「いや!」と
拒否するようになってきた。勝手気ままに歩きたいわけね。
穏やかなこまめとちがって、ごまめは意思表示が本当にハッキリしている。そして堅固。
今は性格のちがいに目を細めたりしていられるが、文字のおけいこなどの取り組みを始める頃
にはこの「勝手気ままさ」と「堅固な意思」に頭を抱えているんではなかろうか??
こまめとのやり方とはちがう、対ごまめ用のアプローチを考案しないといけないかもなあ。


さて、そんな散歩中にも、こまめと暗唱。
 「朝花火 海水浴の人出かな」(高浜虚子)
先週も今週もちっとも夏らしいムードではないが、言霊というか、脳内イメージだけでも…。


散歩のお土産は、栗の赤ちゃん。

歩道の脇に生えていた木から、こまめが知らない間にもいでいた。
小さくて、まだイガもほやほやと柔らかい。よく見ると「つむじ」がいくつかに分かれている
ようだ。


帰宅後の取り組み:

・めいろ

・カタカナ表音読

・ひらがなめいろ:ゆびのなまえ

・音読『こねこのぴっち』続き → 完読!
   こまめにしてみたらかなり長いお話だったが、数回に分けて頑張った。
   字の多さに腰が引けそうになっているのがわかったので、意識して助け舟を出した。
   「えっ…どうなるのかな?!次、めくってみよう!」とか、「ああ〜…かわいそうに」
   とか、ちょっと大げさなぐらいの合いの手を入れて話を盛り上げてみたのだ。
   挿し絵のディテールに見入る時間もしっかりとる。○○はどこにいるかな?など質問を
   出してみることもある。
   ほんのちょっとのことで物語が何倍にも生き生きする、すると次の文が読みたくなる。
   そうやってみるみる引き込まれていくうちに、どうにか最後のページにたどり着いた。


今こうやって手取り足取りやっていることはすべて、いずれこちらが一切干渉せずとも勝手に
本を読んだりメールでやりとりしたりして下さいよ、との目論見からだ。親心、もしくは下心
と言ってもいい。突き放すために構いまくっているわけである。
今日のごまめのように、母の手をふりほどいて歩いて行ってしまう日が来るだろうか…?

2011年7月19日火曜日

風邪ひきさんとバッチリメイク

日本では大きな台風が大暴れしているとのこと。
皆さんのお住まいのあたりが大変なことになっていなければ良いのですが。

オランダも雨の多い不安定な天気が続いている。
調子が良いのは苔とドクダミ。竜のヒゲも花盛りだ。
玄関先の南天が今年は沢山花をつけているが、花の時期に雨が多いと実の付きが悪くなると
いう。さて、あの赤いコロコロがいくつくらいできることやら…。

天候不順のせいだろうか、ごまめは風邪をひいて喉をピューピュー鳴らしている。
去年肺炎をやって以来、風邪というと決まって気管をやられてしまう。吸入の器具はあるが、
なるべく使わないでおきたい。
こまめも咳をしているが、身体はピンピンしている。

遊ぶ気満々なこまめと静かに休養させたいごまめの組み合わせなので、放課後は昨日今日と
別々の仲良しさんの家で遊ばせてもらってきた。
しかも今日は、仕事帰りに迎えに寄った父共々、誘われるままに夕飯までよばれてくる有様。
ありがたいことである。

昨日はマニキュア、今日はメイクアップ…と、家にはない子ども用のお化粧セットで乙女心
を大満足させてきたこまめ。そういうお年頃なのですなあ…。
写真にこそ撮らなかったが、80年代もビックリな極太眉毛で帰宅したので、ギャグかと思い
きや本人はご満悦。
次回すごい顔で帰ってきたら、後々の話のネタとして記録しておかねば…。


写真は、しばらく前にこまめが自分で考えて作ったという金魚。
そういえば、オランダでも錦鯉は「Koi」という呼び名で、日本庭園の素材と並んで、庭造りに
熱心な人達の間で高級な趣味として人気のようだ。専門店もあり、時々広告など見かける。

2011年7月18日月曜日

ジレンマ

ふと、これといった理由もなくアップデートを数日間お休みしてしまった。
この週末は、特に凝ったことはしなかったものの、日々何かしら取り組みを続けていた。

土曜日。
隔週の日本語教室の日で、これまでとはちがうお宅の空き部屋で授業を受けてきた。
出席カードに押すスタンプを選べるのがいつも楽しみなようだ。

日曜日。
父と一緒に庭仕事を先に始めたため、取り組みが後回しになってしまった。
午後にとなりの市のおじいちゃん達が来る前に何かやっておこうと誘って始めてはみたものの、
「これはやりたくない」「こういうふうにはしたくない」など、あれやこれや文句を垂れるわ
母の指示を無視するわ。
こちらもたまたま普段より忍耐力が下がっていて、つい高圧的な話し方をしてしまい、しまい
には父も巻き込んだケンカのような状態に発展してしまった。
数時間後、晩の食事を済ませておじいちゃん達が帰って行った後で仲直りして、いくつか課題
をやりはしたが、ちょっと考えさせられてしまった。


現地校では、その日の課題を自分で選ぶなど、自主性を重んじる方針である。
「自分で決めて自分でこなす」癖をつけながら、自律と自立を身につけていく、そこがまさに
気に入って選んだ学校だ。
ところが、家では、与えられた課題をこなすという訓練。真逆のことをやっているわけだ。
これでいいのだろうか?

家を一歩出れば全く接することのない日本語の勉強をするのだから、文字にしろ語彙にしろ、
暗記や詰め込みが重点的になってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
それでもなるべく楽しげなとっかかりを作ろうと手探りでここまでやってきたわけであるが、
楽器の練習のように、気が乗るときも乗らない時も、「継続の力」を信じてとにかく何でも
やらせないと…と思う反面、モチベーションが下がっているタイミングで吸収できることは
少ないだろうと見切りをつけて、「これをやると決めていたから」とその日の課題に固執する
よりも、いっそ別のラクチンな活動(カルタ等のゲームをやるとか、音読を読み聞かせに変更
してみるとか)にスイッチできる柔軟さがこちらにもあればいいのに…と反省してみたり。


今日は今日で、夜、風邪で熱のあるごまめを先に寝かしつけていたら、自主的にひらがなの
書き取り練習プリント(夏の花の名まえ)を見つけて、ひとりでやっていた。
こまめのこういう健気で従順な性格に甘えているのかもしれないな、私は。

2011年7月14日木曜日

印刷屋さんとカナの表

雨が降って肌寒くって、もう夏だったことも忘れそうな天気。
靴下なしではいられない、上着なしでは外出できないなんて、日本の熱気を少し分けてもらい
たいくらい。


裏が漢字表になっているひらがな&カタカナの表。
色がきれいで、書き順もわかり、ひらがな表とカタカナ表が上下に並んでいるので対応もさせ
やすく、気に入っている。
ただ、裏表どちらの面も使いたいので、壁やドアなどに貼ってしまえない。
A3で、半分のA4に折られた状態で送られてきたのだが、それをいちいち開いたり裏返したり
するたびに、破ってしまわないかハラハラした。
そこで、扱いやすいように、ラミネート加工をしておくことにした。

学校帰りに印刷屋さんに寄り道。
ごまめが生まれた時に誕生通知カードの印刷をお願いしたところ。
この道ウン10年という感じの、職人気質というか独特の雰囲気のあるおじさんがいる。
初めはつっけんどんな印象だったが、実はとても頼りがいのある人だとわかってきたので、
こんな小さな用件だったが、迷わずそこに行くことにしたのだ。

ラミネートの機械を温める間、原稿であるカナ漢字表を見せる。
「これは日本のアルファベットなんですよ」と言うと、どうやって読むのかなど少し関心を
持ってくれた。
それを使って子どもに日本語を教えている旨を伝えると、少し感心もしていたようだった。
「オランダ語はわかるの?」など、こまめにもやさしく面白く話しかけてくれる。

機械がなかなか温まらないようだったので、奥の工場で回っていた高速印刷機を見せてもらう
ことにした。
紙の山から1枚ずつすごいスピードで機械に吸い込まれて行き(重なって巻き込まれないよう
に、吸盤付きのアームで1枚1枚送っていた)、大きな機械を通って瞬く間にどこかの会社の
業務用の便箋が出来上がってくる。
ガッチャンガッチャン、シャッシャッシャッ、……音がすごい迫力だ。

そうこうするうちに機械が温まったようだったので、今度はラミネートの過程を見学。
ペラペラの透明シートにはさんだカナ表が、ゆっくりペローッと出てくると…
ピカピカの1枚になっていた。

丈夫できれいになって良かった良かった!と喜んで、お勘定を済ませようとすると、「今回は
いいから」と出入り口のドアを開けるおじさん。
子どものための、たった1枚のものだからだろうか?
ごまめの誕生カードを作ってもらった時の話をしたからだろうか?
理由は知りようもないが、「得しちゃった」というよりは、おじさんの気遣いがとても温かく
胸に沁みて、涙が出そうになってしまった出来事だった。
大事に使おうね。


さて、帰宅して、早速カナ表の音読、それから身近な人の名前の字を探したりもする。
「一番大きい紙出してきて!」と言うので、どうするのかと思ったら、ひらがな・カタカナ・
漢字の全てを写すと言う。ホンマかいな?!
A3の落書き用紙を渡しておいて、ごまめを寝かしつけに行った。戻ってみたら…
ひらがな50音を写したところで力尽きたようだった。でも、頑張ったね。

雨のしずくはポチョポチョポチョ

古本市で手に入れた『怪物くん全百科』を熱心に見ていたこまめ。
どんな怪物がいるか、一緒に名前を見てみようか、と母ものぞいてみた。

漢字にはふりがなが振ってあるが、カタカナがけっこう多いので、まだひとりでは読めない。
カタカナを始めるのにいい機会かもしれない、と思い、カタカナ表を取り出して音読。
中にひらがなに似た文字もあるので(セ・へ・モ・ヤ・リ等)「あれー」なんて反応している。
「ヒ」はどうしても「と」に見えてしまうようだ。

カタカナ表の裏が1年生で習う漢字の一覧表だったので、ついでに見てみた。
訓読みはひらがなで書いてあるので自分で読みはじめる。
「雨」の字は、ここにこうポチョポチョって降ってるから「雨」なんだよ…と教えると、爆笑
して大ウケ。象形文字の面白さ&親しみやすさよ!


YouTubeでクマゼミの蝉時雨を聴いてから、
・暗唱
 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」

・教育番組『できた できた できた
  学校での約束事、おじぎの仕方、ライフセーバーの仕事など。

幼児の学習素材館より:ひらがななぞり書き「1のかぞえかた」


午後は月に一度の読み聞かせの会
絵本の他にも、みんなで七夕飾りを作ったり、かごめかごめをしたり、楽しく遊んできた。

かごめかごめでは、後ろの正面に立った子が「こんにちは」と言うのを聞いて誰か当てる、と
いう遊び方をしているのだが、そこで普通に言わずに声色を使うということを思いついた子が
いた。
途端に遊びのレベルが1段階アップ! 他の子もマネをしだした。
会うたびに繰り返し同じ遊びをして慣れることで、「もっと面白くしてやろう」という工夫が
生まれるのだろう。進化の瞬間を目撃したようで、ドキドキした。

こまめは帰宅後に自分で飾りを作り足していた。

本物の笹竹の枝を分けてもらえたので、とても風情のある飾りになった。
七月七日は過ぎたけれど、もうしばらく飾っていよう。

2011年7月12日火曜日

やっと食べきったか

お弁当を残し続けていたこまめ。
ここ最近は特に、目に余るような残しっぷりだった。

食が細くなって、どう頑張っても食べきれないとかならば仕方がないが、聞いてみるとまあ
だいたいいつも同じ班の子達とおしゃべりしていて時間切れになってしまうとか、下らない
理由。具をはさんだ丸パンの表層だけむしってあったりとか、遊び食べしてたのが丸バレ!
ボーッと他のことに気を取られている時間が長いであろうことも安易に想像がつく。

あまりにもひどいので、担任の先生に「またそういうことがあるようなら、班から外して孤立
させてやって下さい!」と今朝お願いしてみた。

すると…

なんとまあ、あっさり完食して帰ってきたではないか。
先生は、たった一度「こまめさん、ほら、お口動かして」と注意しただけだと。
この調子で夏休みまであとちょっと頑張ってほしいもんだわい。


放課後は校庭でしばらく遊ぶ。
その時に気付いたのだが、ごまめの歩く時間が徐々に長くなってきているよう。
まだまだ酔っぱらいのペンギンみたいにフラフラしたり、しりもちついたり、不安定ではある
ものの、着実に二足歩行に移行しつつある。

立っている時は足の指でしっかと大地に「つかまって」いるのだけれど。


今日は久々にちょっとお楽しみ要素のある「ひらがなワーク」をやった。

わかりづらい写真だが、手の輪郭を色鉛筆でなぞり、各指の名前のシールを正しい位置に貼る
というもの。
タイトルはカラーペンでなぞり書き。
好きな色でいいよ…と言うと、こうなるのだこまめは。凝り性というか何というか。
なぜか人差し指の爪に2色ぬっていたので「そうやって爪にお絵描きすること、ネイルアート
って言うんよ」と教えてみた。オランダではとんと見かけないが…。

それから、いつものように「ら」の色ぬりと、「ら」のつく言葉 線結び。

「ランドセルって何?」だなんて、日本の子なら誰でも知ってる当たり前すぎるモノの名前も
わざわざ説明しないとわからないのだ。
留め金をかけ忘れてこけるとアチャーとか、数人で下校しながら電柱ごとにじゃんけんして
負けた人が全員の分を運ぶ遊びとか、知りようがないよなあ…。(電柱もないしね☆)

2011年7月11日月曜日

母の存在意義

数日前のこと。
こまめとまたちょっとケンカのような不穏な状態になった。
いろいろなことをお母さんとやるのはいやだ、お父さんにやってもらいたいと言う。
身仕度も、食事の支度も、送迎も、遊ぶのも、何でもかんでも。
「じゃあ全部お父さんにやってもらえば。お母さんはよそのおうちに行っちゃおっと」と
脅しともつかないようなことを言ってみたら、それは困ると言う。

それでは、母でないと困ることって一体何?と聞くと…
「髪の毛をくくることと、ひらがなのお稽古」ときた。
そ、それだけ…??
パパっ子のこまめ、だいたいのことは「おとうさんといっしょ」でOKだとは思っていたが…。

ガクッと来つつも、ひらがなのお稽古=日本語学習がこまめの生活の中の外せない基本項目で
あることがわかり、うれしくもあった出来事。



2011年7月10日日曜日

音読、読解、言い換え

いつかのように、朝食後いきなり絵本を取り出して読み始めたこまめ。
こねこのぴっち』、けっこう長いがどうなるんだろう…?と聞いていたら、半分くらいまで
読んだところで集中力が切れたようだった。

いいお話なのだが、昨日読んだ『おやすみなさいのほん』とは対照的に、読み慣れていない子
には読みにくい本だと思った。
数字など簡単なものなのだが漢字が出てくるし、言葉の途中で改行してあったりするので妙な
切れ目ができてしまったり。
そんなわけで、文字を追うことはできていたが、内容をどの程度理解していたかは謎だ。

今の時点では、「ひらがなの文章が読める」ということに着目して一喜一憂しがちだが、読解、
すなわち内容を正しく理解するということはまた別の次元の問題なのだな、ということに気付
かされた。先は長いのだ〜。


いきもの博士:はな(20)

・ひらがなワーク
 「ち」色ぬり
 「ち」のつく言葉 線結び

   ただ絵と言葉を結ぶだけではそろそろ簡単すぎる感じになってきたので、○○って何?
   と質問していった。絵で見てわかる言葉も、自分の言葉で言い換えてみる練習。
   例えば地図は「あそことか、こことか、わかるもの」、地球は「家とかあるところ」、
   力持ちは「すっごく重たいものを持ち上げられるひと」と言っていた。
   チーズは「食べ物」とちょっとざっくりしすぎ?な答えだったので、牛乳でできている
   んだよ、と教えておいた。

・暗唱
 「風鈴や 花にはつらき風ながら」

・ひらがなめいろ
 「きらきらぼし」



この他、ままごとのように一緒に遊ぶ絵本『いっしょにごはん』を、母とやった後で自分が
お母さん役になって赤ちゃん人形ポッパンと一緒にやっていたので、もう1冊読んだことに
して音読カードに記入しておいた。

その後、昼寝から覚めたごまめのところでも小さい子向けのお話を読んであげていたので、
どうやら音読熱が高まった一日だったよう。

2011年7月9日土曜日

まるさんかくしかく、母たちのお茶会

朝から雨ザーザー。

めいろ
   今日はスイスイ。どうしたどうした??

・書く練習
  はじめてのひらがな:「そ・の・ひ・ろ・る」のふくしゅう

・暗唱
 「風鈴や 花にはつらき風ながら」

・音読
   なぜか文字がこれでもかというほど大きく、全文ひらがなで、改行も適切なので非常に
   読みやすい。内容も就寝時の情景描写の連続なので、流れにのりやすい。
   …というわけで、音読初心者には超おススメな絵本。

算数の力:みのまわりのかたち
   あまりにも当たり前で見過ごしそうだが、問題文の中の「○、△、□」「1つ、2つ」を
   それぞれ「まる、さんかく、しかく」「ひとつ、ふたつ」と読むのだということをまず
   教える。形の名前はともかく、数え方の方を「いっつ、につ」とか読んでいたので。

   漢字の音読み訓読みや助詞の「は、へ」などにもつながることだが、送り仮名や文中の
   位置などの状況を見てどう読むか判断しないといけないとは、日本語、ハードル高し!
   
・ついでにYouTubeでなつかしい『まるさんかくしかく』の歌を。

・教育番組『ふしぎだいすき』より 「ふしぎはっけん!」
   アリ、アメンボ、ミズスマシなど、公園の草むらや池にすむ動植物の観察がテーマ。


午後には晴れ間が出てきた。
母たちだけのお茶会にいそいそと出掛ける。こまめごまめは父に丸投げ〜♪

森の中、市の羊牧場の隣にある、その名も「コウノトリの巣(Het Ooievaarsnest)」という
カフェにて、5名のお母さん達&2名の乳飲み子ちゃんとで楽しいひとときを過ごした。

おやつてんこ盛り〜。
この他にも、キッシュやロールサンド、スコーンなど盛り沢山。
おいしい紅茶もいろいろ選べはしたのだが、なぜかずっとミントティーばかり飲んでいた。

夏らしいベリーの盛り合わせ・ホイップクリーム添えはおばちゃんからのサービス。
っていうか、添えもんのクリームの方が主役っぽいですなあ。どーん。
食器がレトロかわいくて、雑貨好きならずとも思わずときめいてしまうテーブルセッティング。
ティーカップの柄もひと組ずつちがっていた。

手作り感にあふれたクッキー。
ここのティールームは、知的障害者の雇用促進プロジェクトを熱心にやっている市中心部の
カフェレストランのチェーンで、私達が来店した午後には彼らはもういなかったのだけれど、
焼き菓子やキッシュなどの仕込みを担当したそうだ。

あれやこれや、たわいもないおしゃべりに花を咲かせ、すっかりリフレッシュできた。
帰宅したら父がパネクックを焼いていたので、夕飯の支度すらせずに済んでしまった!
なんか母の日みたい。

クラス編成

夏休み前、すなわち年度末である。
9月からの新年度のクラス編成が発表された。

こまめの通うモンテッソーリ小学校では、グループ0・1・2=低学年クラス(Onderbouw)
/グループ3・4・5=中学年クラス(Middenbouw)/グループ6・7・8=高学年クラス
(Bovenbouw)というようにクラス分けされている。異年齢混成で1クラスに3学年が同席
しているのだ。

(小学校について詳しくはこちらの記事 → オランダの小学校

全学年のクラス表をもらったことで、学校の全貌が明らかとなった。
(今まではうすぼんやりとしか把握していなかった…)
低学年が6クラス、中学年が6クラス、高学年が5クラス。
生徒は各クラス24〜29名で、12月までは全校で463名、その後も4歳児が順次バラバラと
加わってくるので、来年の今頃には500名近くなっているはずだ。

こまめ自身は、今のグループ1から2に上がるわけだが、同じ低学年クラスのままなので、
担任の先生も教室もほとんどのクラスメートも変わらない。
中学年クラスに上がる子達が抜けるのと、新しく4歳になって入ってくる子達が増えるので
若干雰囲気は刷新されるが、それ以上のシャッフルはない。

こまめと同い年だが早々に中学年クラスに上がる子もいる。いわゆる飛び級だ。
勉強の成績だけでなく、社会性だとか適応能力だとか、総合的に判断されるようだ。
その反対に、中学年にあえて上がらず、もう一年低学年をやる子もいる。成績もあるかも
しれないが、おっとりした性格のその子の気持ちがまだ準備できていないようだったので
決断したとお母さんがおっしゃっていた。
もともとクラス内にいろんな年齢の子がいるので、そのこと自体はちっとも目立たない。
それぞれの子どもに一番適した環境を作ってやるというのが目的なので、○歳だから…と
いうことにあまり重きが置かれない。

そんなわけで、「13歳の男の子がギムナジウムを修了してデルフト工科大に進学!」なんて
いうニュースが出たりするわけ。
まあこれほどのウルトラ飛び級はニュースになるだけあって異例中の異例だと思うが、実際
のところどうなんだろうな…と老婆心ながら少々心配になったりもする。
学業に打ち込めるのはいいことにちがいないだろうが、周りはビール飲んでパーティーする
ようなノリなわけで…。
友達できるといいね。

2011年7月8日金曜日

おにぎり にぎにぎ

風鈴の俳句、シール貼り。

バラバラの文字を正しく並べる。


数日にわたってこまめが「今日は私がごはん作ってもいい?」と聞いていた。
炊事するのか?!と思いきや、どうやらしまじろうの中古DVDで見た「ラップでおにぎり作り」
というのがどうしてもやりたくなったらしい。
しゃもじで炊飯器からごはんをすくって、ラップで丸めて、ふりかけの入ったお皿で転がして
まぶしてできあがり!…という、まあ調理というよりは粘土細工に近いような作業。
ごはんが炊きたてすぎて、熱くて握りにくかったことを除けば、まあまあの出来で、楽しんで
やっていた。


このおにぎりとセットで「でんでんむしの形をしたロールサンド」もDVDに出てくるのだが、
なんというかキャラ弁の系譜とでも呼びたいような「見た目で勝負」なタイプ。
子どもがおいしく楽しく食べられ、台所仕事にも親しめるのは結構なことだが、微妙な違和感
を感じなくもない。
「○○の形をした食べ物」よりも、「畑でこうやって育ってとれたんだよ、生のときはこんな形
や匂いがするんだよ」というようなことを伝える方が、リアルに生きてる感覚につながりそう
に思うのだが、そんなのは古くさい食育観なんだろうか?

あ、キャラ弁☆については、趣味の1ジャンルとしては敬意を表しますです。
朝から複雑な造形処理、お見事としか言いようがない。