2013年7月18日木曜日

さくらんぼとヒミツの浜辺

恒例の「さくらんぼツアー」。


オランダ中部の果樹地帯 Betuwe が大好きで、季節になると毎年足を運んでいる。
去年は、春先の低温でつぼみがいっぱいダメージを受けたらしく、行ってはみたものの、
店先で売っているところはほとんどなかった。
今年はちょっと遅めながら(例年6〜7月)、「KERSEN(さくらんぼ)」の立て看板が
高速道路からいくつも見られたので、実りは順調なよう。

果樹園の露店でさくらんぼを買ったら、近くの湖(というか溜め池)へ泳ぎに行く習わし。


初めてだか2回目だかに行った時、付近をうろうろドライブしていて、偶然見つけた。
木々に囲まれているので、道からは見えない。
いつ行っても、地元の人が2〜3組いるぐらいで、ひっそり静かなところ。


浜辺で食べるさくらんぼ。汁気も甘味もたっぷりで、おいしいこと!


木々に囲まれた浜辺もいいけど、川縁ののどかな景色も大好き。

晩ごはんも食べた帰路、行きに寄ったのと同じ果樹園の前を通りかかった。
まだ看板が出ていたので、もしや…とのぞいてみたら、残念、店じまいはしちゃった様子。
そしたら、まさに帰ろうとしていたおじさんが出てきて、「ほしいの?」と聞いてくれた。
ギリギリ間に合った!
すっかり片付けてあったのに、車のうしろに積んであったのから1パック出してくれた。


おかげで、もう1キロ買って帰れたというわけ。
これがあっという間になくなるんだよなあ…。

ちなみにお値段は5ユーロ/kg。
マーケットなどと比べて格別安いわけではない。
でも、新鮮で大粒で甘くて、「穫れたその場で食べられる」というのがいい。

2013年7月17日水曜日

食べもの、どこから?

先週、養蜂所の見学の後に行った温室にて。

トマトがはたけにあるなんて、へんなのー!


こっちがビックリだよ…。

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 [追記]
   なんでへんなの?と改めて聞いてみた。
  「だって、みどりだったから」とのこと。

  きゅうりの赤ちゃんが畑で緑でも変じゃないし、リンゴもバナナも変じゃない。
  赤いはずのトマトが緑ミドリしてたのが「へんー!」だったよう。
  青紫色のニンジンぐらいの衝撃だったのかも。

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で、この辺↓のことを思い出した。見たい&読みたい。

『ブタがいた教室』
  …1990年代の北大阪での実話を元にした映画。


いのちに触れる』鳥山敏子
  …上の映画の元となった男性教師がインスパイアされた本。
   「生きもののいのちを考えることは、私のいのちを、私が生きることを考えること。
    そして、人間とは何かを考えること。」

いのちの食べかた』森達也
  …「ぼくたちが毎日食べてる大好きな『お肉』は、どんなふうに食卓に届くの?
    誰も教えてくれない、食べものといのちの大切な関係。」

もの食う人々』辺見庸 
  …このリストの中で、これだけ既読。でも10年以上前のこと。また読みたくなった。

2013年7月16日火曜日

ごまめのひらがな、こまめの夏休み

最近のごまめ、いくつかのひらがなは読めてるっぽい。
取り立てて教えているわけではないけれど、トイレに貼ったひらがな表を眺めたり、絵本
で見かける文字を「これは?」と聞いてきたりする。

実際のところ、どんなもんよ?…と、「ひらがなつみき」で遊びながらチェックしてみた。
結果は、これくらい。


適当な2文字を組み合わせて遊んでみたら、ツボにはまったらしく、ゲラゲラ笑っていた。
「るそ」とか意味のない言葉ができたりするのが面白かったみたい。
そのうち「かみ」とか意味のある言葉でも大ウケしだした。

「さか」と「かさ」のように、入れ替えても意味の通じる「さかさことば」にも気付けた
のだが、それを音で聞くだけとか印刷されたものを見るのではなく、実際に三次元の積木を
手で入れ替えてみて「あれ〜?!」となる瞬間が、なかなかよろしい。
1文字1音のひらがなならではの醍醐味だなあと思う。

ことさらに早く文字を覚えてほしいとも思っていないが、何といっても楽しそうだし、
ちょこちょこ並べたり積んだりして遊んでみよう。

* * *

こまめの方は、ちょっとのんびりさせ中。
サーカスやらプールやら遊園地やら、やたら楽しいことが続いたので、それを絵日記にでも
書いておいたら…と促してはみたものの、やりたくない(作文が苦手)と突っぱねられて
そのままになっている。

とはいえ、夏休みも、それなりに生活習慣とちょっぴりの学習習慣をつけておいた方が
良いはずと、特にこれといった根拠もなくそう仕向けようとしていたのだけれど…
「夏休みこそ、何にもしない日、好きなだけダラダラする日というのを数日作るべき!
もちろん週末は含まず!平日にのんびりするからこそ、夏休み!」というお父ちゃんの
意見と真っ向からぶつかり、火花を散らした。

結局、私の日本的価値観(午前中にちょこちょこやっといたらはかどるよね〜)の根拠を
お父ちゃんにわかるようにうまく説明できなかったので、父の価値観(別にパジャマの
まんまでもええやんけ)=楽チンなので当然こまめもこっちがいいに決まってる!…で、
多数決で負けたかたちになり、ぐぬぬ…と引っ込んだのだった。
引っ込んだものの、まだなんかどっか腑に落ちない。
こりゃもう国民性かしらね。

2013年7月15日月曜日

1冊の本

親子関係をさかのぼる話を書いたら、思いのほか反響があり、「うちはこんなだったな…」
と、自分の身を振り返ってかいつまんで伝えてくれた友人が何人かいた。
改めて、ありがとうございます。
そういった「生の声」を聞かせてもらったり、本やネットの掲示板を読んだりしていると、
全員とは言わないが、実に多くの人が、大なり小なり何らかの寂しさや傷を抱えながら、
それと一緒に生きているんだな、ということがわかってくる。

そうやって、折り合いつけて乗り越えて前に進んでゆける人と、事あるごとにつまづいて
しまう人と、どこに違いがあるのだろう。
親や過去のせいにばっかりしていては、何も変わらないんじゃない?という意見もわから
なくもない。健気に這い上がれる人がたくさんいるのもわかる。
単純に、受けた傷の深さや状況の悲惨さと関連するのかとも思うが、状況の受け止め方や
持って生まれた気質によるところもあるかもしれない。

友人のひとりに、私の母の無関心エピソードをいくつか披露したところ、唖然としつつ、
「でも、ちゃんとやってくれてたんじゃないの?5時起きでお弁当作ってたって言ってた
じゃない。」と。
うん、さすがに子どもの食事の支度はやってくれていた。それすら放棄されたら、保護を
求めてどこかに駆け込むレベルかも…。そこまで極悪ではなかった、ってだけのこと。
衣食住には事欠いてなかったし、進学も下宿も旅行もさせてもらえたけど、それでもなお
何かが絶対的に欠けていたと感じてしまうことは、おかしいかな?

今の今まで忘れていた。
自分を好きになる本』という本をもらったこと。

いろいろな歪みが噴出した学生時代、抑うつ症で一時休学したことがあるのだが、その際も
「そばにいたら共鳴して(?)引きずられるから」と、最低限の食事の用意と通院付き添い
以外はノータッチ、コミュニケーションはほとんどなかった。
受診の後になぜだかポロポロ泣けてきたときも、小さいタオル一枚手渡されただけ。
温かい言葉も包容もあったもんじゃない。
(初夏〜夏だったから、暑苦しかったのかな?…なんて好意的に捉えてみたり ^^;)
そんな母にも、というか、そんな母だったからこそ、私の自己肯定感が低いこととそれが
育ちに起因することは痛いほどわかっていたのだろう。で、『自分を好きになる本』。

振り返ってみれば、ぶっちゃけ、あんま沁み入ってこなかった…。
例えて言うなら、インフルで寝込んでいるのに、「ここに雑炊の材料あるからね(自分で
作ってちょ)」とアッサリ言われるような。
買ってきてくれたことはありがたいですよ、でも…的な。

本当は、どんなによく書けた本よりももっとうんと効きそうなものがあったんだ。
理解と慰めの一言とか、肩や背中をたったひと撫でとか…。
(あのN先生が瞬時に察知して与えて下さったようなもの…。)
でも、母にはどう頑張っても与えられなかったんだろう。
母自身もつらい時期だったろうし(あなたよりお母さんの方が入院した方がいいですよ!
と医者に言われた)、そう割り切って、受け止めてもらえなかったことを許すもよし、
許さないもよし。自分の中で折り合いさえつけられれば、先に進んで行ける、のかな。

「欠落した部分にフォーカスするのはどうかな? 足りないものじゃなく、今あるものに
意識を向けようよ」という声もある。
それもわかる、わかるんだよ…。子どもがいなかった時は、そんな感じでだましだまし、
どうにかいけてたんだ。
でも、我が子を目の前にして、まさか同じことを反芻してしまうのか…?という恐怖に
さらされたら、そうなる前に解明しないと!!と、切羽も詰まるってもんです。

自分を育てよう」なんてさらっと書いちゃったけど、我が子の子育て同様、一筋縄には
いかないなー。


デジカメ本体のメモリーから、すんごい前の写真が出てきた。こまめ2才。
「ぽや〜んとしつつも、きかん気が強い」という気質がすでに表れてますな。

2013年7月14日日曜日

2家族で遊園地へ

小学校の友達 Pくん一家と前々から遊ぶ約束をしていた日。
家族ぐるみで遊ぶのも、これで3度目。
これまで、ライデン自然史博物館 Naturalisアムステルダム科学博物館 NEMO へ行き、
いずれもとても楽しかった。

今回は、遊園地「Oud Valkeveen」へ!
去年の夏に補習校のお友達と行ってとても楽しかったところ。


(デジカメのメモリーカードを家に忘れてきてしまい、カメラ本体の微小なメモリーしか
ない状態。ほんの数枚しか撮れなかった…。)

10時の開園に合わせて待ち合わせ。
7才のこまめ&Pくん・4才のLちゃん・3才のごまめでは遊び方が少々ちがうので、
園内の豊富なアトラクションに適当に散らばったり一緒になったりしながら遊んだ。
絶叫系の乗り物も、ちびっこ向けの遊具も、家族で乗れる汽車や車も、あれもこれも、
一日かかっても遊びきれないくらいある。

お弁当の後は、日が射して夏らしくなってきたので、水着に着替えてビーチの方に移動。
子ども達が砂遊び&水遊びする間、大人はデッキチェアーでのんびりバカンス気分。

恒例の2家族でのお出かけ、実は、こまめが赤ちゃんの頃に読んだおじいちゃん先生の本
がきっかけなのだ。
「動物園など、どうせ行くならよその家族と一緒に行け」というようなことが書いてあり、
触発されて、当時こまめのクラス一番の仲良しのPくん一家を誘ってみたのが始まり。
うちと同じくIT関係のお父さんと、小学校教諭のお母さん、どちらもほのぼのした楽しい
人達で、子どもら4人はもちろんのこと、親同士もたくさん笑った一日だった。
(お父さんのEさんのすっとぼけぶりが尋常でないので、そのせいかも)
朝から晩まで一緒にいて気疲れしないなんて、なかなかないこっちゃ。

今回、ごまめがひとつ年上のLちゃんを友達として意識していたのが印象的だった。
帰りの道中は「こまめ&Pくん→Pくんちの車」「ごまめ&Lちゃん→うちの車」という
組み合わせ。自分のとなりにお友達が座っている!というのが初めてのことだったので、
めちゃ興奮&楽しくて仕方なかった様子。
ポテトが食べたい!!との熱烈コールにより、急遽Mドナルドで晩ごはんを食べることに
なり、食事中もLちゃんと組になって座ってウキウキ。

これはまったくの偶然なのだが、晩秋に入学したら、Lちゃんのいるクラスに入ることに
決まっている。頼もしいね、安心だね。

2013年7月12日金曜日

サーカスが来たよ!

ちょっと前から、サーカスの赤テントが、地元に巡業に来ている。
小さい子ども向けで、スペクタクルとかそんなんではないけど、動物や味わいある人々が
色々出てくるやつ。

そういえば、こまめがごまめくらいの頃、同じようなサーカスを観に行ったっけ。
大きな動物とでかい音響、ゴミ箱に消えたピエロに怯えてたっけ。

ごまめが物心ついてからは行ってない。
夏休みだし…なんか雨模様だし…サービスすっか!と、夕方の公演にいそいそと出かけた。


じゃーん。





まーしょぼいっちゃしょぼいんだけどね。
こういう日陰者っぽいのが好きなんだよ、わたしゃ。

ピエロさんが大活躍。
「志村ー!うしろうしろー!」的な。


観客の子ども達と、椅子とりゲーム。


同じく観客より抜擢された頑丈そうなお兄さん達による、人間空気イス。


相棒のチビピエロ、どう見ても小学校高学年ぐらいだったんだけど、なかなかうまかったよ。



個人的にツボにはまったのが、軟体さん。


こういう中国雑技団的な、若干うさんくさい演し物が大好き!
白人男性でも、身体の柔らかい人っているんだなー。てかめっちゃ爽やか笑顔。
超絶ヨガ風のいろんなポーズを次々と爽やかに披露したり、


爽やかに筒をくぐったり、


テニスラケットをくぐったり、


箱に入っちゃったり。


こういう「ビックリ人間ショー」みたいな方向で、もっといろいろ魅せてほしいもんです。

そしてそして、なんといっても花形は空中ブランコ。



休憩をはさんでたっぷり2時間。ハラハラしたり笑ったり、つかの間の別世界を楽しんだ。
入場料は、サイトで事前に確認したよりかなり安めの大人7ユーロ、子ども5ユーロ。

オマケ:
お休み中の動物さん達とふれ合えるのも楽しい。


おとなしいお馬さんやポニーちゃんに夢中のこまめごまめ。引きはがして帰るのに苦労した。

2013年7月11日木曜日

脱・添い寝

ごまめ、3才7カ月。
これまでずっと添い寝してたのだけれど…
親ベッドのとなりにピッタリ寄せた小ベッド(柵あり)で寝ると言い出した。

5月休みに初のお泊りに挑戦したり、週末にこまめの部屋にお泊りしてみたり、
「おかあさんといっしょ」じゃなくても眠れることはわかっていたんだ。
わかっていたんだけどね…。

こまめの時も、3才過ぎまで添い寝→となりの小ベッド→自室のベッドで、という
段階を経たから、ほぼ同じステップ。
世間一般的には、健全な、喜ばしいステップなんだけどね…。

卒乳同様、なんとも言えないさみしさがあるってもんです。

2013年7月10日水曜日

ミツバチぶんぶん

月に一度の読み聞かせ&遊びのサークル「にじいろ会」、いつもは公民館を借りているのだが、
今回は自然公園にて外遊び。


お弁当を食べ、緑いっぱいの園内で思いっきり遊ぶ。

そして、養蜂場の見学に行ってみた。


ミツバチ博士の博識ぶりに舌をまくことしきり。
膨大なデータが耳のそばを高速で通り過ぎてゆきましたわよ…。


昔ながらの籠式の巣は、現代ではほとんど使われていないが、箱式のものより中の様子が
わかりやすいので置いてあるとのこと。鏡で中を見られる。


実はワタクシ、「虫の団体さんかつ子連れのお宅」がかなり苦手なので、薄笑いしながら
遠巻きに眺めるだけ。
一緒に行ったお母さん仲間に「申し訳ないけど、あそこで一体何がおこってるか、ごまめに
説明してやってもらえないかな?」とお願いする始末…。
アリの巣観察キット的に、巣の縦の断面をアクリルの窓越しに見られるのもあったのだけど、
「おまめさんは絶対見ちゃダメ!!」と警告されたので、おとなしく従いましたとも。

でも、勧められて、窓に触れるのはやってみた。中が見えない角度から、恐る恐る。
…あったか〜い。
巣の中は35℃に保たれてるんだって。(これは自家発電=体温)
ミツバチ達にとっての貯蔵食=蜂蜜は巣の最上階に保存することとか、生殖の仕組みとか
運用システムとか、なんてうまくプログラムされてるんだろう!
ビックリするようなことを色々教えてもらった。


お話の最中、あろうことか、ごまめの前髪の中に迷い込んだ1匹がいた。
飛び立てずに慌ててパニックになったんだろう、チクッとおでこを刺してしまった。
刺されたごまめは痛くてビックリ、大泣き。ミツバチ博士がすかさず薬を塗ってくれた。


外は花盛り。
ぶんぶん飛び回るミツバチのおなかの中で、不思議なことが起こってるんだよなー。


父のご所望で買って帰った、お土産の蜂蜜。


いい色だなー。スーパーで買う蜂蜜とは全然ちがう香りがする。
一緒にもらった「蜂蜜のしおり」によると、地元の蜂蜜を食べていれば、花粉症対策に、予防接種と同じ効果が(必ずではないが)あるんだそうな。
同種の花粉成分をチョッピリ摂取することによって抗体が程よく作られる、と。
理にかなってる気はする。

* * *


養蜂って実際のところどれくらいやってるんだろ…?
…と思ってWikipediaを見てみたら、先史時代とかメソポタミアとか古代エジプトとか…
なんとも悠久な感じ。
日本でも、平安時代の高貴な方々は蜂蜜の味を知っていたとか…。思いのほか古かった。
近代式の巣箱方式は19世紀以来だそうで。

蜂球」(必殺48℃で蒸し焼きの刑)とか、すごい技があったもんだ!
それも、西洋のミツバチにはできない技で、アジアのミツバチの専売特許だとか。

いないいない病」なんてのもあるのね…。
(突然ごっそり蜂のいなくなる現象)

日本のミツバチ博士
こんな分野にも世界の先端に立った日本人がいたなんて、すごいことだなあ。

昔読んだブラッドベリの小説の中で、ミツバチのブンブンいう音が、夏の無邪気で楽天的な
BGMといった扱いで何度か登場していた気がする。
たんぽぽのお酒』がまた読みたくなった。飲むのはソーダ水だな。

2013年7月8日月曜日

夏休み初日

実際は金曜日の午後から小学校の休暇には突入しているのだが、土曜日は補習校があったし、
日曜日は家族でのんびり過ごした。
そんなわけで「学校に行かない日々の始まり」としてリズムを作り始めるのは、今日から。
起床は普段よりものんびりめ、でもダラダラしすぎないように気をつけなくては。

午前中の取り組みを習慣づけようと、こまめと話し合った。
その日にやることは、相談しながら一緒に決めてゆくことにした。
補習校の課題の残っている分も使いたいが、それ以外に取り込めるものも生かしたい。
多すぎない量で確実に続ける方が、目標をガチガチに固めるよりこまめに合っているだろう。

◎…こまめ ●…ごまめ

◎習った漢字の復習(朝、一週間、立つ、野原、小鳥、魚、紙)
   練習帳でおさらい。自分からこれがしたいと言った。


●ひらがなドリル(し、つ、く、へ、の、て)
   隣でごまめも鉛筆のおけいこ。
   文字を覚えさせるというより、静かにしていてもらうため。
   

◎●ラジオ体操(動画を見ながら)
   リフレッシュの時間。
   第一だけで止めようとしたら、「もういっこ!」と熱烈なリクエストがあったので、
   第二までフルで。

◎ソラマメの観察
   補習校でタネをもらい、観察記録をつけることが課題だったので、それを継続して
   やることにした。(種まきは 6月12日)
   絵を描くのは得意だが、説明文を書くのが苦手なこまめなので、文章を書く欄には
   データを書き込むことにした。


   ついでに、背比べの計算問題も。


   こうやって「ひとつのネタから多方面にふくらませる」のは、私がやり易い方法。
   次はどういう応用をきかせようか?とあれこれ考えるのもまた楽しい。


●水やり
   ごまめの大好きなお仕事だが、これも、お手伝いというより、何かやってておくれ!
   という感じ。

のんびり屋さんのこまめなので、以上の取り組みで2時間弱。今日は特にスケッチに時間が
かかった。終盤かなりイラッときたけど、なかなかイイ感じ。
なんだか懐かしいな。

2013年7月6日土曜日

自分を育てる

最後の登校日ということで、やたら感傷的になっていた今日。


最後のお弁当は、おにぎりと、シソ入りつくね。


朝の全校集会で、校歌を歌うこまめを見た。私も大好きな、たんぽぽの歌。
顔を上げて大きな口を開けて、2番まできっちり歌いきった。
極度に恥ずかしがって皆の前で挨拶はできなかったけど、いっぱい学んで成長したって
ことは十分伝わってきた。
親が口うるさく言わなくても、残るものは残る。



朝礼の後、ウルウルしながらホールで感慨に浸っていたら、ある女の先生がこちらの方へ
近づいて来られた。こまめは一度も受け持ってもらったことのない先生。
ごまめが参観日の朝礼に混ざろうとした際に、「ごまめちゃん、どうぞどうぞ」と快く
列に招き入れてくださったことがあり、「やさしい先生だなー」と印象に残っていた。
今朝も、受け持ちの子どもたちの背中をさすってやったり肩にそっと手を置いたりして、
からだでも実感できるようなやり方で「そばにいる」「先生は、ちゃんと見ている」と
いうことをさりげなく伝える姿を見かけて、心を動かされたばかりだった。

その先生が、突然、「ごまめちゃんのお母さんですよね?」と。
なんと、お知り合いにここのことを聞いて、記事を読んで下さったらしい。
「お母さんのお気持ち、分かりますよ。」と言って、そっと抱いて下さった。
その瞬間、私の涙腺は決壊。何かがどっと解き放たれた気がした。
先生も目に涙をためていらした。

二言三言、どんな言葉を交わしたか、ハッキリは覚えていない。
ほんのわずかな時間(実際、1分もなかったんじゃないかな??)のことだったけれど、
でも、本当の意味で受け止めてもらえたと確信するには十分な時間だった。

私が一番欲しかったもの、
今までもらったことのなかったものを、
一番欲しい時に、ちゃんともらえた。

それまで言葉も目線も交わしたことすらないひとから、突然与えられた、受容の実感。
どんな本より、どんな正論より、何よりも心の核(さね)に直に届いた。
受け入れられ、認められ、慰められるって、こんな感じだったんだ!
まるで雷に打たれたようだった。
友達や恋人やパートナーのくれるものと、全然ちがう。
私はこれが、欲しかったんだ。
本当は、自分の、親から。

この感じ、この包容を、こまめにも与えられるようにならないといけない。

この気付きに至るために補習校に通っていたのか。
そう思ってしまうほど、カチリとはまった最後のピースだった。



「育児は育自」という言葉がある。
誰だって、最初は初心者。母親として、子どもと一緒に成長してけばいいんだよ…という
捉え方で、赤ちゃんとの暮らしが始まったばかりの頃から、なんとなく心の片隅に置いて
きた考え方だった。

今になって、ふと思い至った。
自分の場合、言葉通りの「育自」をしたらいいんだな…と。
つまり、子育てしながら、子ども時代に子どもとして生きられなかった自分を、
もう一度育て直せばいいんだ。
誰かを親代わりにするのでも、我が子を自分の身代わりとして育てるのでもなくて、
子どもの頃の自分に欠けていたものを、必要だったのに与えられなかったものを、
自分の手で埋めて行く作業なんだな、ということが、やっとやっと、やっとわかった。


N先生、こんなにも大切な気付きを、ありがとうございました。
自分を変える必要はない(というか、ちがう自分になんかなれやしない)けれど、
自分の軌跡はこれで変えられるかもしれない、と、少し希望が持てました。



車の中で、偶然かかっていた曲。
♪ サヨナラから はじまることが たくさん あるんだよ…


ありがとう、さようなら

遂にやってきた、最後の登校日。

行ってきます!


大好きな先生、友達。



大好きな鉄棒。



プリクラス入学から2年。
週に1日とはいえ、学校生活を共にしたとあって、習い事をやめるのとは意味も感慨も
全然違う。


短くて長い、2年間だった。

こまめ、ほんまによう頑張ったな。
えらかったな。
と、しっかり抱きしめた。

直後、素に戻って「…でも、勉強終わりとちゃうで。」とも、一応言っておいた。(笑)

こまめの気持ちはというと、
これでやっと重荷から解き放たれるという清々しさと、
あんなに好きだった学校という場から離れなくてはいけないというさみしさと、
ごちゃまぜになっているようだった。

筆で字を書くこと、読書、詩に俳句…
工作、裁縫、料理に掃除…
散歩、探検、観察に考察…
やりたかったけど、課題に押されてちっともできなかったこと。
これからは、やりたいように、やるぞー。
と思ったら、楽しみになってきた。
ま、ぼちぼちいこう。

2013年7月2日火曜日

本気の遊び?

新聞で見つけたビックリ写真。(クリックで拡大します)


アフガン駐留のオランダ軍による警察向け対テロ訓練「戦略的行動」の様子。
右下の黒い2人組がテロリストとのこと。

たしかに、コンピューターのシミュレーションよりずっと単純で応用もききそう。

テロ活動と対テロ作戦の攻防、あるいは戦争などの大きな暴力そのものが子どもの遊びの
延長のようなことかも、という皮肉を読み取ってしまったりもする。
それで人がとてつもなくたくさん死んでるからシャレになってないよ…。

2013年7月1日月曜日

かっぱブーム

ここのところ、ごまめは河童に夢中。

きっかけは、河童が主人公の、とあるアニメ映画。
もらったばっかりなのに、もう10回近く見てるんじゃないだろうか…。


時は現代、郊外の住宅地が主な舞台で、小学校や駅、コンビニなんかも出てくるし、
それらの描写がかなりリアル。
今風な言葉づかいの会話と相まって、童話や昔話、異世界のファンタジーよりも更に
身近に感じられるのかもしれない。

かっぱくんがおうちに遊びにきてくれたらどうする?と聞いてみたら、
「いっしょにつみきのでんしゃであそぶ。」と即答。おしゃべりもしたいんだそうだ。

あんまりかっぱかっぱ言うので、家の絵本棚をあさってみたところ…
いたいた、いましたよ。


絵本好きの友人にも聞いてみたら、うれしいことに3人が3人とも何かしら持っていて、
貸してくれた。ありがたや。




ブームついでに、『かっぱの生活図鑑』なるものも注文してみた。
届くのが楽しみだなー。

最初はトトロのような「唯一の架空のキャラ」か何かかと思っていたらしい父に、
Wikipediaの解説を見せつつ、鬼とか天狗とかと同類の、昔からのお馴染みさんなんだよー
と説明した。
そういえば、オランダではこういう妖怪じみた親しみのあるヤツのことを聞かない。
魔女と一緒に駆逐されてしまったか。

…てなわけで、こんなものも食卓に。